参議院立候補にあたって
 5月1日に広島県記者クラブにおいて、参議院議員立候補表明をいたしました。写真はそのときのものです。「憲法」をまもること、「いのち」をまもることを大切にしたいと集まってくださった皆さんも同席しての賑やかな記者会見となりました。

 以下の文章は、記者会見の際、本人が読み上げたものです。


 私は、1947年4月2日、広島生まれです。原爆の廃墟の中で育ちました。遊び場はがれきだらけでした。観音小学校の裏庭には、壊れたままの講堂があり、鉄骨が曲がったまま放置されていました。その鉄骨は、登ったりバランスを取って渡ったり恰好の遊び場でした。家の庭にみんなで落とし穴を掘ると骨が出てきました。骨じゃ、骨じゃと言いながら走って逃げました。

 私たちが受けた教育は、戦後の希望に満ちたものでした。日本国憲法は、戦争放棄、二度と戦争はしないと明記していました。男女も平等、基本的人権、本当に生き生きと学ぶことが出来ました。

 父は、戦前から広島二中の教員をしていました。生徒達は学徒動員で毎日工場や建物疎開にかり出されていました。あの日、父は受け持ちの生徒を今の平和公園の国際会議場のある川岸にすわらせ、自分は伝令を持って他の学年が動員されている観音の三菱の工場に自転車で向かっていました。ですから、父は原爆が落とされた時全く偶然に助かりました。爆心地の受け持ちの生徒たちは、姿さえ分からないほどに全滅してしまったそうです。その一人の真っ黒に焼けこげたお弁当が原爆資料館に保存されています。

 父は、教え子を失って、180度価値観が変わったと言いました。「教員にとって受け持ちの生徒は自分の子どもと同じように大切なんだ」と。「お父さん、あの戦争は、本当に勝てると思っていたの?」と尋ねたことがあります。情報の統制の中で、本当に勝つと信じていたと父は言いました。そして、教え子を全滅させてしまったのだと。

 父は、子育ての中で私たちに平和の大切さをたたき込んでくれました。「戦争はいけない、核は三度使ってはならない」と。「日本には素晴らしい憲法がある。この憲法は、国民の半分が賛成しなければ変えることが出来ないほど、高いハードルで守られているのだ」と。

 私は、学生時代に被爆二世として被爆者運動をたたかったりもしました。仲間の学生と平和公園に座り込んでいたときに、森滝市郎先生が激励に来て下さって、うれしくて涙ぐんだこともありました。

医師になって、私は平和公園のそばに住んでいます。平和公園には世界のどこの国が核実験をしても、冷たい石畳の上に座り込んで抗議する被爆者の姿があります。

 その被爆者も高齢化しました。二つも三つも癌になり、核廃絶という悲願の成就を見ないままに亡くなっています。私に、被爆者運動、反戦運動を教えてくださった近藤幸四郎さんも、石田明さんも、そして、私の父も死にました。

そして、あろうことか、私たちが生き生きと学ぶことができた教育の、そして被爆者の悲願の後ろ盾となった日本国憲法がいまにも変えられようという事態に追い込まれています。とりわけ、第9条が変えられようとしています。

 この7月に行われる参議院選挙は、広島県は二議席です。ここは広島です。せめて一つは、憲法を守ろう、護憲の立場の議員でいて欲しいと願いました。でも、残念ながら、今、立候補を表明している方達のほとんどは、なんにも憲法について語ってくださいません。自分の党が改憲の立場にいる時に、自分だけ護憲は言えないのでしょうか。高齢化した被爆者の意志を国会に持って行ってくださる方はどなたなのでしょうか。

 そう考えた時に、私は、自分自身が立候補することを考えました。

 私は、産婦人科医を35年務めて来ました。この間、「いのち」を見つめて来ました。生まれるいのち、そして、亡くなるいのち。さらに、講演や著作やメディアを通して、「いのちの教育」にも全力で取り組んで来ました。

私は、一人ひとりが持って生まれて来た「いのち」を全うできるように、それが政治であると考えています。

狭い診察室に患者さんはお一人おひとり、社会を背負って来られます。私は診察室から、患者さんを通して社会を見ます。被爆者、病気の方、障がい者、子ども、高齢者、教育、いじめ、自死、医療、福祉、人権。診察室からそれらに接し、そしてそれらのすべてが「いのち」とそして「政治」と繋がっていると確信するに至りました。

今、世の中は、逆に逆に進んでいます。「障害者自立支援法」による利用者の一割負担により、最も弱い立場にある方たちをさらに苦しめています。なぜこんな残酷なことが出来るのでしょうか。競争至上主義を導入することで、働いているのに生活が苦しい、いわゆるワーキングプアーが問題となるほど格差社会となりました。憲法25条で保証されているはずの生存権すら脅かされている人々がいます。若者や女性の常勤の仕事も少なくなり、学校を卒業しても希望する就職ができない、夢を持つことも難しくなりました。

教育の現場では、「平和」や「いのち」の教育も出来なくなりました。私がライフワークとして取り組んで来た性教育は、人権教育や平和教育と深く繋がっています。それが出来なくなった今、当然のごとく、いじめや自殺が増え続けるでしょう。また、若年者の人工中絶、HIVなどの性感染症、レイプなどの性犯罪、ドメスティックバイオレンス、それに熟年離婚も増加の一途をたどるでしょう。教育基本法が変えられ、教育再生会議の下に行われようとしている変革は、その傾向をますます強めて行くでしょう。私の知る教員の多くは疲れ果てています。それらに少しでも歯止めをかけたいと思います。

産婦人科医療の現場も、大変なことになっています。科学の進歩とともに生殖医療はどんどんと進んでいるのに、法の整備がなされていないために、子どもたちの戸籍が取れないという事実が沢山報告されています。私は、それらの法の整備も「生まれてくる(来た)いのちに取って一番幸せな方向で」という軸を一本通せば、解決して行く問題であると考えています。また、せっかく「いのち」を身ごもりながら、出産できる病院がどんどん減る中で、産みたくとも産めないいわゆる「お産難民」が50万人にもなるだろうと言われています。少子高齢化を問題にしながら、産婦人科医療について、何ら手を打たなかった政府の無策ぶりが、露呈したに過ぎません。

私は、一人ひとりの「いのち」と「憲法」を守る政治を心がけたいのです。

自民、民主の「指定席」と言われる二議席に割って入るのは、とても大変だということを自覚した上で、それでも一人でも多くの女性議員が増えることをも目指して、立候補を決意いたしました。

 何とぞご理解、ご支援のほど、よろしくお願いします。

(2007年5月1日記者会見にて)